久保田藩領岩城村古文書規則●宝永2年 秋田郡岩城村物成諸役相定條々 コレクション 現在の秋田県秋田市 判読文付 温故知新

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この村は久保田藩領です。今から316年前の文書です。この時の藩主は、4代佐竹 義格(さたけ よしただ)になります。
これは村が納めるべき年貢と生活上の規則が書かれています。かなり長文です。かなり息苦しい生活だったかも知れませんがそういう中にあってしたたかに生きていたのでしょう。
久保田藩(くぼたはん)は、江戸時代の藩の一つ。秋田藩(あきたはん)とも呼ばれる[1]。久保田城を居城とし、藩主は佐竹氏が治めた。佐竹氏は室町時代以来の常陸守護の家柄であったが、関ヶ原の戦いにおける挙動を咎められて出羽国(後の羽後国)秋田へ移封された。表高は約20万石、実高は約40万石。家格は大広間詰国持大名。 支藩として新田分知された家が2家ある他、2代義隆の実家亀田藩(岩城氏)が事実上の支藩となっていた時期もあった。 出典:ウィキペディア
他の村に交付された同様の文書は市の文化財に指定されているようです。例えば湯沢市の三梨子村物成並諸役相定条々及び諸勧進合判です。http://www.city-yuzawa.jp/bunkazai16/2073参照
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料が故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。判読文と解説文のコピーをお付けいたします。
サイズは423×31.2㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケがあります。発送は紙管等に巻いてゆうパック60サイズか定形外300+特定記録160=460円を予定しています。東北関東東海信越北陸地区の場合870円です。
第3代藩主・佐竹義処の3男として誕生。母は布施氏(智清院)。幼名は千代助、千代丸。 元禄13年(1700年)11月15日、父・義処の嫡子となった。兄・義苗の早世に伴う措置であった。元禄16年(1703年)4月1日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。同年8月12日、義処の死去により家督を相続した。宝永5年(1708年)12月18日、従四位下侍従、大膳大夫に叙任する。正徳元年(1711年)4月13日、初めてお国入りする許可を得る。正徳5年(1715年)7月19日、久保田城において死去、享年22。法号は天祥院実厳円真。墓所は秋田県秋田市泉三嶽根の天徳寺。 宝永6年(1709年)、藩文所を秋田史館と改称する。また、父の時代に破綻した藩財政再建のために植林を奨励し、さらには救貧対策にも尽力するなど、若くしてその才能を見せたが、江戸屋敷の火災や元禄地震による天災が相次いだ上、義格自身も死去したために、改革は失敗に終わった。 正室はいない。なお、浅野綱長の娘と婚約していた。側室に平賀氏(光全院)。一男あり。長男は早世したため、養嗣子・義峯が継いだ。

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